| 庚申堂・巣鴨猿田彦大神(こうしんどう すがもさるたひこおおかみ) |
| 東京都豊島区巣鴨4−35−1 |
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江戸時代の文化年間(1804年〜1817年)に出された地誌「遊歴雑記」によると巣鴨の祠内に納められている庚申塔は、明暦三年(1657年)一月の江戸の大火(いわゆる<振袖火事>)の後に造られ、その際文亀二年(1502年)造立の高さ八尺の碑が、その下に埋められたとされている。
この庚申塔は、旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端、すなわち旧中仙道と折戸通りの交差地に位置し、天保年間(1830年〜1843年)に刊行された、江戸とその近郊の絵入り地誌「江戸名所図会」では、中山道板橋宿に入る前の立場(たてば〜休憩所)として描かれている。そこの茶店で、藤の花をきれいに咲かせていたのが評判で花の頃に小林一茶も訪れて
「ふじだなに 寝て見ても またお江戸かな」 の句をつくった。
この庚申塚には、お猿さんが祀られているといわれているが、これは巣鴨近辺の有志が、明治初期に、千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したという事実による。
現在も都電の庚申塚停留所を下車して参拝する人やとげぬき地蔵の参拝帰りに立ち寄る人が跡を絶たない。
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